復活祭

復活祭 イースター

光は闇から出る

easter

 

私は喜び祝うために生まれた

自分がしっかりと立つ時

中に閉じこもっていない?

私は誰か! 私、自分だ

金がなく 意気地なしの“わたし”

嘆く前に勇気を出せ

キミの命に 新しいエネルギーが注がれる

その時が復活だ

立ち上がる時だ

そのチャンスを見出す時

 

カテゴリー: 未分類

2017年を生きる

%e3%82%86%e3%81%8d

 

この世の壁は厚く城砦のよう

私には超えられない高い塀のよう

万軍の主・命を私に与えた神は そこを治めている

 

世の支配者は自らの利害を計り 武力と富で支配し

民は黙して語らず 自分の内に逃げ込む

それで可いのだろうか?

%e3%81%af%e3%81%aa

 

命の花を咲かせましょう!

狭い片隅の存在かもしれませんが、美しくは咲かせましょう!

きっと誰かが喜んでくれます

難しく考えるのは止めましょう

命の神は 時にふさわしい恵を約束しています

 

無用な心配などせず 恐れることなく おとめマリアのように進みましょう!

カテゴリー: 未分類

クリスマスと新年

ベトレヘムの星・ヨゼフ・マリア

喧騒の中に彷徨う夫婦

天使の声を思い出し、励ましと信頼をもつ心

ヨゼフは黙って泊まる家を探し

マリアは新しい命の喜びを秘め

圧制の時に産まれるイエスは

永遠の知恵のシンボル

クリスマスの祈りは永遠の希望の情報

神の情報(復活)の信仰から

生まれた日

幸せのために与えられた知恵の泉

太陽の祭り、生きる光

2017年 どこに 何に 希望を見ますか

自分自身の中にある可能性を見つけましょう

生命は自分自身が生きるためです。理不尽なことがあろうとも負けてはいけない

最も理解しがたい重荷を背負い、使命を全うした女性がいる

おとめマリア、神の母となったマリア 聖母マリア

1月1日 神の母聖マリアに平和祈る日

平和は人の心に芽生え、喜びを知る種であり、万民の望み

世界に大変動が起っても、大災害は会うとも、しっかりと地に足をつけていましょう

カテゴリー: 未分類

待降節と降誕節

北欧の沈まぬ太陽の祭りが誕生日となった

四季が繰り返される地域では太陽が沈まない風景も白夜も想像できなかったが

12月25日は北欧の風習を取り入れて主の誕生日と決められた。

どうしてクリスマスが世界の祭りになったのか?

 

人は所詮 欲の塊の生き物だ。「気ままな自由の心の塊」に過ぎないのか?

食べ、飲み、楽しむのは結構だが、行き過ぎは困ったものだ

それを止める方策はない。心の自由を奪える法律は作れない。 作っても意味がない。

欲の塊の衝突は止められない。報復の連鎖。地震のように何時発生するか不明。

こんな世の中で、悲しみや不幸を繰り返しながらも、存続する不思議。

あ! あ! 何という現実、泣きながらも、今日があり 明日が来る

どうして もう終わりにすればいい! 願っても実現できない現実。

利己的欲の争い、競争、紛争、戦い、殺戮は続くが…・・

ひと時の安らぎが欲しい

 

祭りは一時的平和を知る時と場 我欲の公平な発散の空間、誰もが楽しめる時

束の間の一日  貧しい民衆が平和を楽しめる佳き日

人の欲、世の欲が尽きることがないように

沈まない太陽、白夜を楽しむ太陽の日、クリスマス12月25日

そこで考えよう!

時を待つ人、容易に来ないと焦る心

それなら一緒に祝える日を作ろう

太陽を祝う日 この日を救い主の生まれた日と定めた知恵は賢い

無名、不明な起源だから価値がある

なぜなら、権力者が定める暦には裏がある~

他者を支配する思想があるから怖い

 

キリストは愛による統治を提案する

しかし キリスト教となってしまって諸宗教の一つとなってしまったキリスト教は?

あああ! 悲しきことかな

 

それでも、人の造った宗教としてではなく「神の福音に生きる人も」がいる

彼らの価値基準は天からの暦

 

現実は厳しく 辛い 暗闇の時

それでも新しい朝は必ず来る 素晴らしい恵み

 

天の計らいの神秘 自然界の動き 変化は激しい

だから、そこにこそ生命の営みがある

主の降誕 誰も知らなかった出来事

それが今では、歴史の中心点

 ベトレヘムの真実が明らかになる時を待とう

カテゴリー: 未分類

キリストを王とする暦

  教会暦の基軸はイースター、太陰暦、月の動きを基軸として毎年変わります。

この暦の大晦日が「王であるキリスト」、今年は11月20日。そして次週からクリスマスを迎える待降節アドベントです。この日も固定していません。復活祭を起点に主日も変わるからです。

クリスマスのように固定すれば覚えやすのでしょうが、教会は頑固に変更しません。

 

何故でしょうか?

 

平成と西暦も度々混乱します。お店のレーシートは西暦、役所に行くと平成、正確に覚えていません。度々書き間違えます。一つなら便利。 これは個人的考え。よの中はそうはいかない

暦は国家存立の基盤、言語の次の重要な要素でしょう:統治者にとって!

 

天皇暦は日本国家そのものです。天皇なしに統治は考えられないから、象徴天皇制があるのでしょう。国民の寄り添う元首、政治権力なしに、民と歩む象徴天皇です。

「王であるキリスト」も似ています。軍事力はなし、政治能力もなし、経済的支配力もない、全くの無能者、この世においては敗北者イエスが「王」とは理解できません。

 

にも拘らず、教会は十字架に掛けられ、殺された者を王と呼ぶのか?

嘲られ罵られ、「ユダヤ人の王」と恥ずからしめられた者を王と呼ぶ不思議な教会です。

 

しかし、しばし、時を取って考えてみませんか?

 

? ! 〜 ^ ¥ * ? # $ ♩ 🎵 ♬ * … >わかってると言わずに< 。

 

大統領は現代の最高の権力者、王の王

けれども その選び方も選らばれ方も酷いものだと思いませんか?

これが民主主義の成れの果て?

 

無力な市民が考えても仕方のない無駄な無益は事柄でしょうか?

私は「そうとは」思いません。思わない人が多すぎます。

キリストは無力な人でした。しかし、彼の名を知らない人はいません。

彼は“いのちの王」ではありませんか?

 

イエス・キリストの身体は死んだ。その精神・魂・いのち・福音は生きている。

だから、明日から又、救い主を待つ。

主よ、来てください 巷を超えて 私の胸に わたしたちのこころに ∞

 

キリストの私は新しい時の始まりだ。希望だ。光だ。

カテゴリー: 未分類

天の動きと地の営み―水の効用はどこに?―

水はどこら来るのか? 天からか? 地下からか? 空中にあるのか?

そもそも聖書によれば、水は神によって創造されていない。創世記冒頭を見てください。

天地創造以前から存在しているのが水だ。人の身体も水の集合体ではないか。

水は神様か。そうだ。水の神様がいる。神々を甘く見てはいけない。

水は、大洪水も引き起こし 自然災害の原因となるが、水なしに生きられる生物はない。

水の最小単位は見えないが「ある」"いのち“ではないか。

空中にある水(分)を生命は吸収している。それを私は感じず、知らない。

なぜ? 人の感触は鈍いからか。痛みとなった時に知る恐ろしさ。

もう遅い。手遅れだ。

人間よ、人よ。いつまで我欲に溺れているのか! 水に溺れる前に回心せよ。

水が枯れる前に用心せよ。この夏は猛暑だ。まだ、今は我慢できる。

その間に目覚めよ。儲けばかり考えるよりも地球の健康を考えよう。 (そんなゆとりもありませんか)

悩み、苦しむ悲鳴が聞こえないのか!

地上に沸き立つ熱気が特定の所に限定されるから 世界の気象が変になる。

強い権力をもつ人よ。多くの民の生活を守る者よ

自惚れていい気にならないでください。声も出ない弱者を見捨てないで下さい。

声も出せず、小さく小さく閉じ込められている人間がいることを忘れないで!
カテゴリー: 未分類

自然界と神の計画

どうして教会暦には自然界の営みがないのか?

日本古来の暦にはロマンがある

夏至も過ぎ 菖蒲も咲き 梅雨を潜り抜け 晴耕雨読を楽しむ

天然の光の中に星座を追い 七夕に思いを馳せる

 

太古の御代に アブラムは星空を眺めていた

その時 天からの声があった

「大空を眺めて見よ。空の星を数えて見よ」(創世記15章5節)

アブラムは神々の声ではなく、天の導きに希望をもった。

彼には子孫がいなかった。子のないことが恥の文化だった。

その時、彼は人間の目・欲から解放された。

世間の価値観から創造主の導きに身も心も委ねる喜びを知った。

 

神々の誘惑は強く、その欲望は尽きない

儚く消え去る露のように落ちては無くなり、又 同じものを求める世の心

 

実は 露は水滴の塊、そこには水の力、命の源がある。

水こそ、世の神々を超える主のシンボル(創世記1章1節)

私の身体は水の集合体 神の力、恵みの結合体である。

 

七夕を前に 天空の動きを眺め 創造主と自然界の営みを思う。

カテゴリー: 未分類